Canê Canê Warabi(ジャネジャネワラビ)

蕨で出会ったクルドの歌⑤  全文はこちら

写真なみ
写真なみ

 

 ネウロズの祭りの翌日、ブックカフェココシバで行ったコンサート(Canê Canê Warabi vol.2)では、トルコではプロの音楽家だったRさんが、解体の仕事帰りに立ち寄って一緒に演奏し、歌ってくれました。

 

「Canê Canê Warabi(ジャネジャネ蕨)」とは 

 

「Canê(ジャネ)は親愛の情を込めて誰かに呼びかけるクルド語。日本における、弦楽器サズ、トルコの吟遊詩人などの歌の第一人者Fuji、クルド伝承音楽を歌い継ぐ上田惠利加、蕨市在住でユーラシアンオペラを展開する作曲家の河崎純の三人が集まり、演奏曲やアナトリア、トルコやクルディスタンについて、たぶんゆるゆると、それぞれの視点で語り合いながら、演奏。」

 

 Fujiさんは、この街に暮らすクルド人女性にサズのレッスンも行っています。アナトリア半島、地中海に及ぶトルコ地域の音楽を弾き語り、クルド語の歌も歌いますがほとんどはトルコ語です。

 

 故郷の震災で心が癒えない時期です。クルド人が多く、支援を行う方も少なくないこの街で、慮って、トルコ語で歌うことを少しためらわれていようにも感じました。しかしFujiさんが大切にしてきたトルコ語の歌も、この街で歌っていただきたいと思いました。

 

 トルコ語とクルド(クルマンジー)語はかなり異なる言語だそうです。クルド語の使用が制限されたなかで、トルコのクルド人はトルコ語で生きてきたともいえます。その言葉で感じ、思考にも用いただろうその語の響きから生まれる音楽も、やはりここで響かせたい...

 

 Rさんと、Fujiさんは、トルコの盲目の吟遊詩人アシュク・ベイゼルの名曲「黒い土」をトルコ語で歌いました。

 

「土地は全ての過ちを癒す/土地は癒塗り薬が傷を和らげる/あなたは両腕をひろげわたしに道が拓かれているのを見ている/忠実な愛、それは黒い土地」

 

【異郷の音】

 

 それにしても、クルドやトルコも含む、中東やアラブ圏の音楽や文化は、私には「遠い」。距離的にはもっと遠いアフリカの伝統音楽は、ある意味世界中の音楽の起源を思わせるような普遍性も感じ、アメリカの音楽からも窺い知れ、近しさを覚える事もできます。

 

  いっぽう中東やアラブやインドの音楽には、神秘的で、時に近寄りがたい美しさを感じさせるにも関わらず、自らとはもっとも遠い文化として接してきました。理解しえぬ神秘、いわゆるエキゾチズムというものでしょうか。旋律と感情とがなかなか、結びつきません。

 

 たとえば、よく書いたり話したりする例ですが、「アルプスの少女ハイジ」の中東、アラブ版というのがあって、youtube(世界各地のバージョンがあります)を見たことがあります。

 

 「口笛はなぜ..」と始まる、よく知られたあの朗らかなオープニングには、まったくその世界観にそぐわないような音楽が付けられ、しかもトルコではおじさんの声。のちのジブリの方たちが作ったあのアルプスの絵はそのままです。違和感しかありません。 

 

 

 私にはトルコのアーチストの友人が何人もいます。アヴァンギャルドで無国籍な音楽を共感しながら一緒に作った彼らも、それを子供の頃、ふつうに聴いていたのでしょう。

 

 

【他者が隣人になるとき】

 

 演奏しながら、まるで恋焦がれているような自分の身体を、トルコ、クルドの音楽を演奏しながら感じました。

 

 遠さを感じてきたその地の人々がいま近くで暮らし、彼らの音楽を一緒に演奏します。フレットがないこの大きなコントラバスを弾きこなすために、30年ほどかけて染み込ませた手と耳の型を崩さなければなりません。西洋の平均律を基準にした型です。

 

 ドレミより微細な中東方面の音程やリズムに不慣れな私は、探り探り演奏します。そうもがいているあいだに、どんどん歌声が通り過ぎてゆきます。意味をその場で共有できないもどかしさはやはり大きいです。

 

 グローバル化と言いますが、たとえば、宗教や観衆から生ずる価値観などの違いが誤解を生むことも想像できます。音楽でもそれは同じです。良かれと思い演奏している音が、彼らの心に障ったり傷つけたりする、ありえない音であるかもしれません。

 

 だから心のどかでは、いつも恐る恐る近づいたり、遠ざかったりするように演奏しているような緊張感もあります。それはもちろんアジアでも、ロシアでも、ウクライナでも、日本でも、近しい友とて同じこと...

 

 焦がれるように近づくことは、恋愛です。私にとって、作曲も演奏も、そのエロスそのものなのだろうか...コンサートは、成就も崩壊もある、筋書きのない恋愛を晒しているような場、と言えるのかもしれません。

 

 Canê Canê Warabi、次回第三回目は少し間をおきます。上田惠利加さんが、さらにクルド音楽を学ぶためにしばらくトルコに旅立つからです。無事に帰国され、さまざまな土産話が楽しみですね。

 

「蕨で出会ったクルドの歌」  全文はこちら

 

メモ: * は入力必須項目です