蕨で出会ったクルドの歌③ 全文はこちら
縁もゆかりもなかった土地の人々が大事にしてきた旋律、言葉、音の揺らぎ、リズム,,,知らなかった歌に込められた魂が、「民謡」とはいかなるものかを教え、ふと、それが私の脆弱な生を、いつの間にか支えています。
2023年2月のはじめ、講演活動などのため、またトルコより来日したセルダル・ジャーナン氏と録音しました。なんと七時間ほぼ歌いっぱなしで15曲近く。叙事詩デングベジュの歌唱は、喉を使った表現が多彩なゆえに、相当酷使させてしまいましたが、貴重な録音になりました。それを元に作曲して、創作してゆくつもりです。
これまでに彼が歌ってくれた歌、昨年からクルドの女性たちと一緒に練習した歌も合わせると、いつの間にか50曲ほどになりました。翌日の川口リリアで行われたコンサートにも急遽参加しました(リンクに主催の上田惠利加さんの後記があります)。
幸か不幸か、私は、民族や地域で歌い継がれた歌、音楽が身近な暮らしをしたことがありません。セルダル氏や日本に、近所に暮らす彼女たちの歌の言葉も慣習もわかりません。しかしこうして、たまたま出会った異文化を背景にする個人やコミュニティと、近しくなったり、遠ざかったりしながら交流を重ねて創作します。
彼らの音楽は、喜怒哀楽はそれぞれ表裏のように混合し、歴史や政治とも分断されず、それでいて暮らしの中の喜びでもあります。それらの歌の魂が、画一化される反面、分断され孤立化が進む日本の都市に生きる私の死生感にも、刺激を与え続けてくれるのです。
動画は昨年2022年、埼玉県蕨市で行なったイベント音nity(音ニティ)より
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