クルド叙事詩・民謡【記憶を継ぐ 魂の歌声】Serdar Canan コンサートツアー2023

 

いよいよです!!Serdar Canan コンサートツアー2023

(埼玉・京都・大阪・広島)

 

出演:Serdar Canan(vo/サズ) / 上田惠利加 (ピアノ)/ 河崎純(コントラバス)

 

10月8日(日)埼玉・川口|川口総合文化センター・リリア催し広場|14:00開演

10月9日(月・祝)京都・岡崎|NAM HALL|14:00開演

10月10日(火)大阪・箕面|COMM CAFE|18:15開演 ※食事つき 

10月11日(水)広島・広島市中区|LIVE JUKE|19:00開演

 

詳細・ご予約・セルダル氏のプロフィール

 

 歌詞に共感したり、旋律や響きに感化されたりして、涙が自然と溢れることはあるけれど、歌声を聴いてそのように涙がこぼれてしまったのは初めてのことでした。これまで出会ってきたあらゆる文化とは異質な声や旋律であるにもかかわらず、セルダルさんによるクルド口承叙事詩の歌い始めの一声で涙が出ました。

 

 昨年の夏のことです。講演やコンサート等でトルコ最東部ハッキャリから来日中だったセルダル氏と出会いました。私が暮らす街に多く暮らすクルド人家庭が暮らすアパートの一室で歌を聴く機会がありました。

 

 周辺地域のさまざま民族の文化と影響を与えあいながら醸成されクルドの民謡は、皆で歌い踊る豊かなものです。いっぽう口承叙事詩デングベジュは、一人の歌い手の無伴奏の歌唱、朗詠による。「音楽」とも一言で言えないようなどこにもない歌唱です。 今回のコンサートツアーでは、その両方をお楽しみいただけます。

 

 民謡とは本来、皆でメロディを歌い、リズムを共有して踊るようなものといえますが、そうではない形で、伝承してきたものはなぜだろう。クルドの音楽、とりわけその口承叙事詩は、国家が介することで特徴付けられた、いわゆる「伝統音楽」とは異なるように思えます。伝統というよりは伝承。日々の喜怒哀楽や英雄の記憶が、歴史的な背景や事情にもより、国家ではなく人々がローカルに歌い継いだものです。そのようなある種、秘儀的ともいえる歌声が、私も知らなかった私の中の何かを呼び覚まし、そのために涙腺を刺激したのでしょう。

 

 セルダル氏との出会いにはじまりこの一年、私なりにクルドの人々の音楽文化と向き合ってきました。同じ街に暮らすクルドの女性たちとの交流、春祭り「ネウロズ」やトルコ・シリア大震災のおりのヨーロッパで活動するクルド歌謡の帝王ホザン・カワ氏による緊急チャリティコンサートへの参加、新たにこの街に暮らし始めた歌手のレナス氏や、トルコ地域の歌、サズ奏者の第一人者Fujiさん、クルドの言葉と歌を学ぶ今回の共演者上田恵利加さんとの共演、録音したセルダル氏の声から音楽を構想することを通じて、少しずつ知りました。

 

*これまでのこと「蕨で出会ったクルドの歌

 

 こうして身近になりつつも、私にとってそれらは「異質」なままです。だからこそ、問い直させられ続けます。音楽とは、歌とはなんなのだろうと。どうして人々がそれを必要としてきたのか。クルドの歌、なにより不自由な立場にありながら日本のこの街に暮らす人々の生活から教わっている。それは音楽に限ることではなく、私の生とは一体なんであったのだろうと。

 

 違和感とは排除ではなく関心のことです。そこから愛情を深めつつ、共に生きる過程そのものが、私にとっての音楽であり、創作です。

 

 そこで私自身は、いかに「クルド音楽」を演奏するのかではなく、その声や歌といかなる共存ができるのか、と思いながら演奏します。

 

 セルダル氏といかに交感できるのか。そこに生じるリアルな葛藤やドラマをご覧いただければと思うのです。ですからふつうの意味での伝統音楽や、民族音楽のコンサートとは異なるものになるでしょう。クルド音楽のエッセンスを体現する氏が、そんな私を共演者として選択してくださったことをとても嬉しく思います。

 

 こうして書くとシリアスな感を与えてしまいそうだが、実際にこんなふうにクルド音楽演奏していると、あとで思い返すと笑いが止まらなくなるような「事件」が絶えないのです。

 

 録音したセルダル氏の歌や、難しいリズムパターンを必死で覚えようと、イヤホンの音量を少し上げて散歩していると、そこから漏れる音をきいた、クルド人のお爺さんが近寄ってきてきます。

 

 「ビル、ビル」といいながらコンビニへ。缶ビールを奢ってくれるらしい(実際は選んでいる最中に私が先に買っておごりましたが)。そんな風に近所で出会う、おじさんやお爺さんとも少し顔馴染みになり、コンサートで見たと言って私を思い出してくださる方もいます。言葉も通じ合えない、何かことが起これば決別することだってあるだろう、しかしそれでも、いまここに共に存在できることを嬉しく思います。

 

 そんなかけがえのない幸福をもたらしてくれたセルダル氏の歌声、哀しくとも力強いクルドの歌を、どうか、今回のコンサートを通じて多くの方に聴いていただきたいです。

 

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