クルドの祭ネウロズで演奏

蕨で出会ったクルドの歌④  全文はこちら

 

 クルド人も多く集まり、ともに歌い踊ったそのコンサートのたった数日後、さきのトルコ・シリア大地震が起こりました。災害のその中心地こそ、在日クルド人の多くの故郷の地でした。その苦難と哀しみの渦中、2023年3月クルドの祭ネウロズが4年ぶりに、さいたま市の秋ヶ瀬公園で開かれました。 

 

「在日クルド人と共に」では、祭りについてこう説明されています。

 

 「ネウローズとは新しい(NEW)日(ROZ)を意味するクルド人が最も大事にする記念日です。故国で厳しい弾圧にさらされてきたクルド人は自国で祝祭が禁止されても亡命先でネウローズの火を絶やさず守ってきました。新年を祝う音楽を流しながら日本人の参加者様も交えてクルドのダンスを楽しみます。」

 

 7年前、近所の市民公園の広場で行われていたクルド人の春祭り「ネウロズ」を初めて訪ねました。その少し前まで私は、3年ほど、トルコと日本を往復していました。いくつかの前衛的な音楽やダンスのプロジェクトで、トルコ人アーチストたちとパフォーマンスを行なっていました。しかしトルコについても、ましてクルドにつてもほとんど知りませんでした。トルコといっても私の滞在のほとんどは大都市イスタンブール。懐かしさもあり、ふと思い立ってこの祭りに出向いたのでした。

 

 あのとき少し遠くから眺めていた自分が、のちにそこで演奏することになるとは、思いもよらぬことでした。数百人もが参加し、民族衣装をまとい、輪になって独特のステップで踊り続けていました。サウンドチェックをしているとき、昨年から一緒に演奏し、音楽詩劇研究所の新作ユーラシアンオペラにも参加してくれたクルドの女性はこういっていました。

 

「日本人、誰も政治や宗教について話さない。トルコ人、クルド人は政治と宗教のことばかり喋る。子供も同じ。トルコ人、クルド人、子供も政治のことよく喋る。でも私の(日本の学校に通っている)子供たちは、喋らない、日本人と同じ。子供が政治の話するの、よくないこと、幸せじゃないかもしれない。でも大事なこと」

 

 応えようなく、ただ頷きながら聞いていたのですが、みなさまはどう思われるでしょう?

 

 

 

【祭りの後で】

 

 祭りが終わって夕方、コントラバスを転がしながら帰途、自宅のすぐそばの大きな陸橋の脇にあるコンビニに缶酎ハイを買うために立ち寄りました。店の外で、いつも見かけるクルドのおじさんたちが、酒を飲みながら地べたに張り付くように腰掛けて談笑しています。

 

 反対側の蕨駅の東口のほうで、以前はよく見る風景でしたが、最近は少なくなりました。私が暮らす蕨駅の西口は、クルド人を目にすることは東口ほど多くはありません。しかし、あのおじさんたちは、毎日のように座っています。

 

 コンビニ付近に居座るクルド人男性たちは、日本人からだけでなく、日本の暮らしに馴染みながら、不自由な立場から脱却しようと積極的に行動するクルド人からも、疎まれることがあるようです。コミュニティが膨らめば、利害関係も多様化し、さまざまな分断が生じるでしょう。

 

 いまここにいる、ということはつまり、さっきまで私が演奏していたあの艶やかで晴れがましい祭りには参加していない、ということ。もしかしたら、同郷人の多いエリアから少し離れて避けるように、線路を跨いで陸橋の下に来て、酒を飲んでいるのかもしれません。いろいろと事情もあるのでしょう、その方が心が落ち着くのかもしれません。

 

 こうして数人が集まって、それぞれにスマホを持って音楽を聴きいていたりすることも多いですが、木陰にぽつねんと一人、まるでトルコの老いた吟遊詩人のように見えてしまうこともあります。その先にある大きな団地に暮らす中国やネパールの人々が、ときどき彼らを一瞥しながら通り過ぎてゆきます。

 

 近寄って「さっきまで、ここで演奏してたんです」とすこし誇らしげに、おじさんたちにスマホの写真や動画を見せたら、いったいどんな反応をされるのだろうか。

 

 そもそも高齢の方は日本語はほとんど話せないと思われますが、「俺には関係がない」と一笑に付されるかもしれませんし、懐かしそうに微笑むのかもしれません。わかりません。そんなことを思いながら、少し離れたところで、缶酎ハイを立ち飲みしました。

 

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